市原悦子の自宅の場所は千代田区?放送禁止用語連発した理由と夫の塩見さんとの子供は?
2019年12月に亡くなられた市原悦子さん。
まんが日本昔話では常田富士男さんとおふたりですべての登場人物の声を演じしたしまれてきました。
この番組で育ったと言っても過言ではない方は多いのではないでしょうか
そんな惜しまれつつもこの世を去った市原さんの事について調べてみました。
市原悦子 プロフィール
本名:塩見悦子(しおみ えつこ)
生年月日:1936年1月24日(82歳没)
血液型:A型
身長:160cm
体重:53キロ
出身地:千葉県千葉市
出身高校:千葉県立千葉高等学校
出身大学:早稲田大学 第二文学部演劇専修卒業
所属事務所:ワンダープロ
2時間ドラマ「家政婦は見た!」などで知られる演技派女優の市原悦子(いちはら・えつこ)さんが12日午後1時31分に心不全のため都内の病院で亡くなった。82歳。3年前に自己免疫性脊髄炎で入院するなど芸能活動をセーブしていた。
昨年12月に盲腸となり、それが悪化して、正月2日から入院していた。平成最後の年に、多くの人に愛され、親しまれた女優がまた1人、この世を去った。通夜は17日午後6時、葬儀は18日午前11時から、いずれも東京・青山葬儀所で営まれる。市原さんは16年11月に自己免疫性脊髄炎のため都内の病院に入院。以降、入退院を繰り返し、芸能活動もセーブしていた。
何だか、勝手なイメージでしたが、市原悦子さんって小さなお母さんって思ってました。160cmも身長があるって、大きな方だったんですね!
穏やかな印象の市原さん。役柄なのか?醸し出す雰囲気は理想のお母さん像ですねよね!
結婚はされていた?お子さんは?
1961年には、俳優座養成所時代の同期だった演出家の塩見哲さん(享年80)と結婚されました。その10年後には塩見さんと退団し、ふたりでプロダクションを立ち上げたそうです。それから、市原はテレビドラマや映画など多方面で活躍されました。
家にいても演劇仲間だったという関係のふたりは、おしどり夫婦として知られていましたようですね。子供を望みましたが、2度の流産に見舞われ、お子さんはおりません。
2014年、最愛の夫を肺がんで失ってから仕事も手につかず、自宅に2か月ほどひきこもったこともあるそうです。本当にお互いを支えあいながら生活されていたことが伺えますね。
「塩見さんを亡くしてから、何をするにも虚空を仰いで、『どう思う?』と旦那さんに語り掛けたり、いまもいっしょに暮らしているような口ぶりでした。
ご自宅はどこ?
市原悦子さんの住まわれていたご自宅は、東京都千代田区のヴィンテージマンションです。
市原さんの終(つい)の棲家(すみか)となった自宅マンションは、築50年以上だそうですが、皇居近くの超都心にあります。市原さんが住んでいた部屋と同じぐらいの広さの別の部屋が9000万円以上で売りに出されていた情報もありました。
都内の自宅マンションは、まだ俳優座の舞台女優だったころに、「清水の舞台から飛び降りる」思いで購入したものだそうです。内装の材料に木と紙だけを使ったこの家に、市原さんは夫の塩見哲さんと50年近く暮らしていました。
その間に同じマンションの一階上の部屋が売りに出たので、その真上の部屋も追加で購入して、2戸をメゾネットに改築したそうです。ひと部屋は稽古場としても使い、よく俳優仲間も来ていたそうです。
放送禁止用語を連発!?
市原悦子さんが2015年5月22日に放送されたNHKの番組「あさイチ」に出演した際の放送禁止用語の連発が話題になりました。
「まんが日本昔話」のナレーションを務めた思い出話に話題がおよび、「一歩一歩やっていくほかない」
「風が吹いたらいい季節だなあと感じるようになった」と同番組に教えられたことが多いと振り返る場面もありました。
続けて、一番好きな話は「やまんば」だとし、
「私のやまんばの解釈は世の中から外れた人。たとえば『かたわ』になった人、人減らしで捨てられた人、外国から来た『毛唐』でバケモノだと言われた人」
と発言。世間から疎外され、山に住んでいた人たちが「やまんばの原点」になったと思うと説明した。
また、やまんばのキャラクターが「魅力的で大好き」な理由について、
「彼らは反骨精神と憎しみがあって他人への攻撃がすごい。そのかわり心を通じた人とはこよなく手をつないでいく。その極端さが好き」
と笑顔で語った。井ノ原快彦さんも「虐げられているから愛情を欲しがるんですね」と応じ、スタジオは「日本昔話」トークで盛り上がった。
しかし番組の終盤、有働由美子アナが、
「さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びします」
と謝罪する一幕があった。
いずれも体が不自由な人や外国人に対する表現で、メディアなどでは使用が避けられている。しかしネット上では市原さんの発言を非難する声はほとんどなく、「前後の文脈上問題ない」「差別意識はない」と擁護する意見が多かったようです。
するとツイッターなどネットには番組の対応を疑問視する意見が相次ぎました。
「『当時差別された人』の文脈で使ってるんでまったく問題ないと思う」
「昔話の解釈にちなみ、あえて使った表現だろう。綺麗な表現に置き換えたら、本質が伝わらない」
「番組は見たけれど、悪意が無い分さほど気にならなかった」
など、あくまで「表現の一手法」「悪意はない」とする意見が多かったんだそう。
また有働アナの謝罪後、市原さんの表情がこわばっていたと指摘する声があり、同情する書き込みも目立ちました。
今回のような言葉は「放送禁止用語」などと言われるが、法規制がある訳ではなく、あくまでテレビ局などの自主規制によるんだそうです。
大好きな昔話の話題で、放送禁止用語だからと謝罪が入るのも市原さんは切なかったんじゃないかと思います。
まとめ
愛する旦那さんに先立たれ、2ヵ月の間引きこもってしまうほど仲良しのご夫婦だったそう。
残念ながら、お子さまは授かることが出来ませんでしたが、お二人はお互いを支えあいつつ幸せな家庭を築かれていたようです。
何とかお仕事に復帰をされるも、今度はご自身が難病にかかってしまいました。
一度は仕事に復帰するも体調を崩し帰らぬ人となりました。
生涯女優さんでいらっしゃったように感じます。