岸谷香の息子の中学は聖光学院と早実に合格した?入学式はどこに出席?
元プリンセスプリンセスの岸谷香さん。
旦那は岸谷五郎さんですが今回は
・息子の中学はどこを受験したのか?
・早稲田実業と聖光学院のどちらに合格したのか?
・入学式の画像とは?
についてなどを検証します。
プロフィール
本名:岸谷 香(きしたに かおり)
結婚前の本名:奥居 香(おくい かおり)
生年月日:1967年2月17日
年齢:49歳
所属事務所:シンコー・ミュージック→オールスパイスカンパニー
実家:広島県広島市生まれ、東京都育ち
学歴と経歴
玉川聖学院高等部中退、明治大学付属中野高等学校定時制編入・中退。
1983年、奥居と今野登茂子、渡辺敦子、中山加奈子、富田京子の5人がオーディションで選ばれ、バンド「赤坂小町」を結成。
1986年、バンド名を「PRINCESS PRINCESS(プリンセス プリンセス)」に改称しメジャーデビュー。
1996年5月31日、PRINCESS PRINCESS解散。
プリプリが解散した理由は
アルバム制作時の打ち合せで出された2つの意見で「プリプリで新しいことをやっていきたい」という意見と、
「これまでの間に培われたイメージがあるので、それを崩さず今まで通り変わらずに行くと」という意見が、
平行線のまままとまらなかったことが挙げられた。
また、奥居が「昔は曲を書くときは天から降ってくる感じで、何も考えずに書けたのに、時間が経つにつれて曲を書く際に考えるようになり、そのことを悩んでいた」ことや、
「友達のまま、解散したほうがいい」というメンバーの意向も解散の理由として挙げられる。
名曲Mが生まれた逸話とは?
ちなみに、名曲「M」の歌詞の意味は、
ドラムスの富田京子さんが作詞したものなのだが、
当時好きだった人がいたが失恋してしまい、
そのとき、岸谷香さんが
「このままじゃ悔しいじゃん、歌詞にしなよ」
と言ってくれたことで生まれたのだという。
そんな逸話とともに名曲になりましたね。
結婚や解散のその後について
1996年6月28日に俳優の岸谷五朗と結婚する。
しばらく休養ののち、1997年4月16日にソロ活動を再開。
2001年7月7日、第一子となる息子を出産。
これを契機に、結婚後の本名である岸谷香へと芸名を改める。
2003年6月4日に第二子となる娘さんを出産。
2012年1月、震災復興支援の為、1年限定でプリンセス・プリンセス再結成。
「子育ては、絶対に手を抜かない」と語るほど熱心な教育ママだが、
子供の入学願書を前日に郵便局に持参するなど、おっちょこちょいな面もある。
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2人の結婚の馴れ初めはラジオでの共演とのことです。
息子の願書の件は、
郵便局でも騒動となりネット上でも批判があがっていた、
と言われているそうです。
郵便局ももともとは公務員組織ですから、対応が少し悪かったのかもしれませんし、
こればかりはどちらが悪いかは判断できないですね。
子供の中学受験について
岸谷さんの息子さんの年齢は現在14歳。
名前は不明ですが、岸谷さんのブログでは
チビゴと表現しています。
ちなみに、娘さんの年齢は12歳で、
名前は、これまたブログでチビコと表現しています。
そして、子供の教育には一切手を抜かない岸谷家の方針から
小さいころからピアノ、英会話、水泳などの習い事をさせて
岸谷さん自身も午前5時に起きてお弁当を作るほど熱を入れていたようです。
そのため、小学校は目黒区碑文谷にあるトキワ松学園小学校に通わせて、
名門塾SAPIXにも通わせていました。
まさにお金持ちがなせる技という感じですが、
岸谷さん自身が高校を中退したことで苦労したので
子供には良い環境で育ってほしいと思ったのでしょう。
ちなみに、娘さんの小学校は武蔵野市にある成蹊小学校に通っていて、
今年からは付属中学に通うことになるそうです。
そして、息子さんの中学受験ですが
前述の郵便局事件など色々とありましたが、
無事に合格が決まり、
入学式に出席した時は
「母親の仕事が7割は終わった」
と、少し燃え尽き症候群になったそうです。
ちなみに、通っている中学は
神奈川県横浜市の聖光学院か
東京都国分寺市の早稲田実業
だと言われています。
いずれも偏差値70を越える超進学校だが、
本当に頑張った成果だと思います。
芸能人の子供ということで
コネなんて言われることもありますが
本人の努力なしでは成しえないことだと思います。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、岸谷五郎さんの妻である岸谷香さんの息子は
早実と聖光学院を受験してそのどちらかに
通っている。
ということなどをお送りしました。
情熱大陸にプリプリとして出演予定ですので
楽しみですね。
久々に名曲「M」を聴いておこうと思います。