平野紫耀の母が脳腫瘍で死去したのは本当?仕事や年齢と里奈の若い時はヤンキー顔?
King&Princeの平野紫耀さん。ドラマやバラエティ番組でもかなり人気がでています。
イケメンなのに天然(笑)でも、とてもやさしく礼儀正しい姿が垣間見れ、余計に好感度が上がっているのではないでしょうか。
そんな平野紫耀さんのお母様がチョット気になる存在でしたので調べてみました。
プロフィール
【名前】平野紫耀 (ひらの しょう)
【出身】愛知県名古屋市
【生年月日】1997年1月29日
【中学校】名古屋市立大森中学校
【高校】飛鳥未来高校
【身長】171㎝
【ジャニーズ入所】2012年2月
母親の年齢は産!?
平野紫耀さんのお母さんの年齢については、いろいろいわくつきです。
と言うのも、紫耀さんが2018年のTV番組出演時に「母親は40歳」と発言。
その時平野紫耀さんは21歳だったので、お母さんが19歳の時の子供だったということになります。
それでも、すごく若いお母さんですが実は過去には違う発言もしています(笑)
平野紫耀さんが言うように、2018年に40歳だとすると、お母さんは2013年の時は35歳前後になります。
しかし、実は2014年の10月頃にテレビ番組の、まいどジャ~ニ~の中で、紫耀さんは「母は33歳」だとはっきり言っていたのです。
これは平野紫耀さんのファンの方には周知の事実なんですよね。
2014年10月放送なので、この頃は平野紫耀さんはお母さんのことを33歳と公表していました。
つまり、平野紫耀さんお母さんが17歳くらいで産んだ子供だったと言う事になります。
これは平野紫耀さん自身も言っているのですが、お母さんは超絶ヤンキーで、かなり怒ると怖いらしく、掃除機を武器にして殴られたりすることもあったそうです。
17歳で高校生で出産というと確かにちょっと悪さをしていたのかな?なんて、思ってしまうところもありますが。
平野紫耀さんの名前、「紫耀(しょう)」を決めたのもお母さんで、お母さんは紫色が好きで、かっこいいから決めたそうなんですよ。
そう言う目線で見てみると「紫耀」って感じも、ちょっとヤンチャ感もありますね(苦笑)
そんな平野紫耀さんのお母さんは、とっても厳しく怖かったのですが、勉強をしろ、とは言われたことがないそうです。
礼儀と女の子を守りなさい、ということは常に言われていて、それは現在の礼儀正しい平野紫耀さんをつくっているようです。
TV番組でも深々と礼をする姿が印象的です。
女の子を守りなさいと言われて、ドッジボールで必死に女の子を守っていたそうです。平野紫耀さんの王子様的な包容力は、母の教育のなせる技ですね。
なにかを守りたいという気持ちが強い、と平野さん自身がインタビューでも語っていたので、まさにそういうことなのだと思います。
平野紫耀さんの幼少期
幼少期の平野紫耀さんはちょっとやんちゃすぎる子供と言えばなんとかなる範囲なのですが、中学ではとうとう見た感じもグレてしまいました。
なんと平野紫耀さんは中3のときには、銀髪にしたくて、7回も繰り返しブリーチしてしまったというエピソードがあります。
また、学ランを自分で短いものを用意したようです。この画像の周りの雰囲気もなかなかのものですよね。卒業式に紫色の学ランを用意するあたり、紫好きの母譲りかも。
平野紫耀さんは、幼いころから地元の名古屋のモデル事務所に入るなど、芸能活動を開始しています。またジャニーズに入る前も、名古屋のアイドル「ボイメン」で活躍していました。
ジャニーズ事務所に入ったのは2012年2月なので16歳のとき。実は母子家庭のジャニーズの方は多くいて、滝沢秀明さんや、横山裕さん、城島茂さん、松岡昌宏さんなどなど。
皆さん、いろんな苦労をしながらも自分をアピールする場として選んでいるのかもしれないですね。
芸能活動をするために、お母さんたちの協力は大きかったと思います。
自由奔放なヤンチャはしていたようですが、心は優しい平野紫耀さんなんじゃないかと想像できますね
平野紫耀さんの母親は、元ヤンキーでとっても怖かっただけでなく、実は体が弱かったそうです。
その母に代わって、家事をするのは当たり前。なんと料理も自分で作るのが当たり前だったそうです。平野紫耀さんの得意料理は回鍋肉なんだそうですよ。
しかも、市販の合わせ調味料なしで、旨味を出して味を整えると言う、本格派。きっとお母さんは、とっても厳しかったのでしょうが、「人として」という事を強く思い、たっぷりの愛情を平野紫耀さんに注いで子育てされていたのでしょう。
だからこんなに優しい子になったんだな、と感じました。
グッとくる誕生日エピソード
平野紫耀さんはとても愛情深い素敵な方の様に感じます。お母さんに大切に育てられた証拠でしょう。
以前、お母さんの誕生日にプレゼントをあげようと、母、祖母、平野紫耀さんで買い物に行ったそうです。
お母さんの気に入った帽子があったのですが、ちょっと高額だったため、お母さんも遠慮された為その場で購入には至らなかったそうなんです。
ところがその後にこっそりその帽子を買いに行った平野紫耀さん。
そしてあとからその帽子をお母さんに渡したそう。
その時のお母さんの反応は、「サンキュー」と軽い感じだったそうですが、本当は心のなかですごく喜んでいたんじゃないですかね。
平野紫耀さんとお母さんのこのエピソード、胸キュンですよね。
お母さんのお仕事
平野紫耀さんのお母さんのお仕事に就いても調べてみました。
幼いころからお母さんは仕事漬けの毎日を過ごしていたと言うお話をされていましたが、職種までは公表されていませんでした。
ただ、母子家庭でお子さん二人を育てるために必死で働いていたように感じます。
そんなお母さんを見て育っているので、平野紫耀さんはとても礼儀正しいですし、心の優しい方なんだなと感じます。
お母様のお写真も探しましただ、残念ながら公表はされていませんでした。
イメージすると。。。
こんな感じですかね(苦笑)
母が脳腫瘍に
平野紫耀さんのお母さんですが、2016年12月の舞台で衝撃の告白がありました。
平野紫耀さん自身が、「俺が高校に出るときに、母親の頭に悪性の腫瘍がみつかった」というセリフを言っていて、それが事実であったと、後に新聞に掲載されていました。
これは平野紫耀さんとっても不安だったでしょうね。高校に行く頃と言えば、関西ジャニーズに加入した頃。
それでもジャニーズに入ったのには、やっぱり家計を助けたいという思いやお母さんに楽させてあげたいという気持ちがあったのではないでしょうか。
「死ぬなよ」の意味は
平野紫耀さんはコンサートなどで、観客に「死ぬなよー」と語りかけるそうです。これは、「また生きていて会おう」ということなのです。
この言葉は、お母さんの生死への不安や思いが込められていて、人間いつ死ぬかわからない、ということを既に理解している平野紫耀さんならではなのですね。
現在もお母さんは元気でくらしているので、平野紫耀さんの思いが通じて、病気は克服されたのでしょうか。
まとめ
平野紫耀さんの母子家庭エピソードや、お母さんがどんな人物なのかについてまとめました。
いろいろと苦労してきた平野紫耀さんですが、母子家庭だからこその強さや愛情があるのかもしれませんね。
これからも平野紫耀さんを応援したいと思います。