中村吉右衛門の娘は宝塚なの?嫁と孫、息子、兄について
人間国宝の歌舞伎役者、二代目中村吉右衛門(にだいめ なかむら きちえもん)さん。
「勧進帳」や「義経千本桜」などでの武蔵坊弁慶役を得意とされる一方で、時代劇「鬼平犯科帳」では、主人公長谷川平蔵役を演じ、お茶の間の人気者になられました。
そんな中村さんについて調べてみました。
目次
プロフィール
お 名 前 中村吉右衛門(なかむらきちえもん)
(本 名) 波野 辰次郎(なみのたつじろう)
生年月日 1944年5月22日
出 身 地 東京都千代田区
血 液 型 B型で双子座
出身高校 暁星高等学校
出身大学 早稲田大学第一文学部仏文学科(中退)
八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男として誕生します。
長男は9代目松本幸四郎さんです。
歌舞伎の世界に詳しくないので知らなかったのですが、お二人はご兄弟なのですね!
その後、幼少期に母方のおじいさまである初代中村吉右衛門さんの養子となり
中村吉右衛門を襲名することになります。
生まれたばかりの時は「藤間久信」という名前だったのですが、
養子になったことから「波野久信」、その後「波野辰次郎」へと改名されたそうです。
中村吉右衛門の兄・松本幸四郎との確執!?
初代松本白鸚さんの次男として、1944年5月22日に東京都千代田区で誕生した中村吉右衛門さん。
実兄は2代目松本白鸚さんです。前名の松本幸四郎さんのほうがわかりやすいですね。
そうです、中村吉衛門さんはは9代目松本幸四郎さんと実の兄弟なのです。
世に骨肉の争いという言葉がありますが、伝統や一芸にまつわる地位や権力をめぐっての、親と子、兄弟の争いを意味しますが、
日本では特に伝統芸能の分野で取り沙汰されることが多いようです。
調べてみると、歌舞伎の九代目松本幸四郎さんと、二代目中村吉衛門さんの兄弟の確執が噂になっているようですが実態はどうなんでしょう。
そもそも何故「確執」と言われるのでしょうか?
お二人の母親 正子さんは、初代中村吉衛門の一人娘でした。初代中村吉衛門さんは、婿養子を取るつもりでなかなかお嫁に出すことを許していなかったそうです。
ですが、正子さんは八代目中村幸四郎さんの元に嫁ぐために、もし男の子が2人生まれたら、1人を祖父である中村吉衛門の養子に出すと約束。
約束通りに男の子が2人生まれたため、弟の中村吉衛門さんが、初代吉衛門さん、つまり祖父の養子になり播磨屋を継ぐことになったのです。
伝統芸能を継承していく家系の為、親子共に苦渋の選択を強いられていたのですね。
中村吉衛門さんと松本幸四郎さんが抱えた歌舞伎界における定め?
中村吉右衛門さんと松本幸四郎さんは、こうして兄弟でありながら、歌舞伎界における、高麗屋、播磨屋という大名代を、それぞれが背負うことになりました。
しかし、養子に出された中村吉衛門さんは、幼い頃、実の父母と暮らせない悲しみに兄の松本幸四郎さんを恨んだという話もあります。
幼少期から、両親と離れ伝統芸能を継承しなくてはいけないのですから、簡単には受け入れられるものでもないでしょう。
これが、兄弟の確執話の元となっているようです。
兄である松本幸四郎さんとは、若い頃から常にライバル関係?
歌舞伎以外に、ミュージカルや演劇、テレビで華々しく活躍する兄・松本幸四郎に対して、弟の中村吉衛門は、歌舞伎以外での活動が少なく、その差がまた、兄弟不仲説の理由とされたようです。
しかし、中村吉衛門は後年、テレビ時代劇の「鬼平犯科帳」で、火付盗賊改方長官長谷川平蔵を演じ、一世一代のはまり役となって、広く一般にも知られるようになりました。
また歌舞伎役者としても、2011年に人間国宝認定されています。松本幸四郎、中村吉衛門兄弟にとっては、今や、わだかまりなどはないと思われます。
中村さんのお子さんは?
二代目中村吉右衛門さんは1975年、ご自身のはとこにあたる山本知佐さんと結婚されています。
結婚当時は中村吉右衛門さんが31歳、山本知佐さんが19歳と、歳の差結婚だったそうです。
ちなみにプロポーズの言葉は「来るか?来ないか?」。当時は慶応大生であった知佐さん、指輪を用意していなかった中村吉右衛門さんは煙草の銀紙を知佐さんの指に巻いたそうです。
ご結婚後、4人の娘さんに恵まれました。
歌舞伎役者にとって、いずれ跡を継ぐであろう息子の誕生を願ったとは思いますが、男児には恵まれませんでした。
自身が息子や婿養子のいなかった祖父・初代中村吉右衛門さんの養子になった経緯もあり、跡継ぎについては人知れず頭を悩ませているかもしれませんね。
娘さんの結婚相手は?
四女の方は、波野瓔子(なみの ようこ)さんといい、2013年に尾上菊之助さんの結婚が話題になりました。
お二人は2月26日に神田明神で挙式しました。
瓔子さんは1982年8月生まれの四女で、青山学院大学文学部仏文学科を卒業後、銀座の和光に勤務。
尾上菊之助さんも青山学院大学に在学していましたが、こちらは中退しています。
菊之助さんによると、子供の頃から瓔子さんを知ってはいたものの、個人的に親しくなったのは2年ほど前なのだそう。
その後中村勘三郎さんが他界し、息子の勘九郎さんと七之助さんががんばっている姿を見て結婚を決意。
家を守ってくださいとプロポーズしたそうです。
瓔子さんは明るく気配りの行き届いた女性と周囲でも評判らしく、菊之助さんの母・富司純子さんが和光で買い物をした際は、その接客にとても好感を抱いたという話も。
一方の瓔子さんは菊之助さんについて、常に穏やかな空気をまとっている方で、羽毛布団に包まれているような温かみを感じるとコメント。
菊之助さんと同じ世界で生まれ育った女性であるうえに、大学卒業後は社会人としての勤めも経験している瓔子さん。
梨園の妻の務めも如才なくこなしてくれそうな気がします。
長女は宝塚歌劇団に在籍されていたこともあるようですが、そのほかの娘さんの情報は詳しくは公表されていません。
おそらく一般人なのでしょう。
中村吉右衛門の孫について
2013年11月28日、瓔子さんは第1子となる男児を出産。
和史くんと名付けられました。
驚いたことに、中村吉右衛門さんにとっては初孫なのだとか。
ですが和史くんは尾上菊之助さんの長男であり、音羽屋の跡取り。
2019年5月に行われた和史くんの7代目尾上丑之助襲名披露では祖父として口上を述べ、口元をほころばせて「わたくしの孫でもございます」と「じいじ」の顔をのぞかせていました。
やはりかわいくてたまらないのでしょうね。
2015年7月14日には女児の知世ちゃん、2017年9月4日にはまたもや女児の新ちゃんが誕生。
もし娘夫婦にふたたび男児が授かれば、播磨屋の養子に迎えることも視野に入れているのでしょうか。
中村吉右衛門さんの心のうちは量りかねますが、今後の動向に注目です。
まとめ
中村吉右衛門さんの実の兄は2代目松本白鸚さん。前名の松本幸四郎さんの方が分かり易いですが。
ご自身は幼少期に祖父の元に養子に出され、播磨屋の後継者として育てられました。
そのため、兄弟での確執があると噂されますが実際はそのような事はないようです。
中村吉右衛門さんは19歳年下のはとこである知佐さんをお嫁さんを迎え4人の娘さんを授かりましたが、男児には恵まれず。
長女は宝塚歌劇団に在籍されていたこともあるようですが、詳細は公表されていません。
4女の波野瓔子さんが尾上菊之助さんとご結婚されたことが話題になりました。その後、3人のお孫さんも生まれました。
初孫にあたるお孫さんは、歌舞伎の世界でもお披露目されていますがご自身の「播磨屋」の後継者はまだ不在。
歌舞伎界を大きく担う中村吉右衛門さん。今後の動向にも注目です。