吉田沙保里の父の死因は?厳しい公務員だった?職業や伊調馨と母の約束とは?
リオオリンピックでは惜しくも銀メダルに終わった吉田沙保里さん。
・父は急死で死因は?告別式の場所は?
・職業は厳しい公務員だった?
・伊調馨のコーチだった?
・母は?
ということについてをまとめてみました。
プロフィール
本名:吉田 沙保里(よしだ さおり)
生年月日:1982年10月5日
年齢:33歳
実家:三重県津市(旧一志郡一志町)
ちなみに、身長は157㎝ということであまり長身ではないようです。
学歴
一志町立一志中学→三重県立久居高等学校→中京女子大学(現:至学館大学)
卒業後も中京女子大学を練習拠点にしているようです。
経歴
アテネオリンピックの代表選考試合となった全日本選手権と2004年のジャパンクイーンズカップでライバル山本聖子に連勝し、
女子レスリング55kg級の代表に選出される。2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得。2007年5月、アジア選手権優勝。9月の世界選手権でも優勝し、女子として史上初の5連覇を達成する。
2008年8月16日、北京オリンピックの55kg級に出場。予選・準決勝と勝ち上がり、
決勝戦では許莉(中国)を試合開始から終始圧倒、第2ピリオドでフォール勝ちし、2大会連続でオリンピックの金メダリストとなった。2012年6月、JOCはロンドンオリンピック開会式の旗手に吉田を選出した。
吉田は「旗手は熱望していた。金メダルをとれないというジンクスを打ち破る」と述べ
8月10日(現地時間8月9日)に行われた55kg競技では予選・準決勝と勝ち上がり、決勝戦ではカナダのトーニャ・バービークと対戦。2-0で金メダルを獲得し、
3大会連続五輪金メダルを達成。「13大会連続世界一」を達成した事を受けギネス世界記録に認定された。さらに、この功績を称え2012年11月7日に日本政府より国民栄誉賞を授与された。
2015年の世界選手権では決勝で3年連続でマットソンと対戦。世界大会16連覇、個人戦200連勝を達成。
2015年12月末にALSOKを退社してフリーになった。
2016年リオデジャネイロオリンピックの決勝戦では、
準決勝で吉田の最大のライバルになると目されていたマットソンをフォール勝ちで抑えてきたアメリカのヘレン・マルーリスと対戦したが、
逆転負け。世界大会(五輪+世界選手権)の連覇記録は16連覇、個人戦は206連勝でストップし、15年間守り続けた世界女王の座から陥落した。
オリンピック主将は金メダルを獲得できないというジンクスを破ることができなかった。
伊調馨さん同様に4連覇達成とはならず、
非常に悲しい結果となりましたが、現在まで女子レスリング界をここまで盛り上げてこれたのも
吉田さんの力が大きいように感じますので、我々日本人としては感謝の気持ちでいっぱいですね。
父親は?
父親の名前は吉田栄勝さん。
栄勝さんは職業は公務員でしたが、自宅にレスリング道場「一志レスリング道場」を開いて実際に指導もあいていたそうです。
というのも、栄勝さんは元レスリング選手だったそうです。
沙保里さんには非常に厳しい指導をしていたそうで、その甲斐あってか
当時は同じ階級にいた伊調馨さんを寄せつけることをないほど強くなり、
伊調さんが階級を変えることを決意させたのも吉田さんの強さがあったからでしょうね。
しかし、栄勝さんは2014年3月11日に急死されました。
11日午前7時15分ごろ、津市小舟の伊勢自動車道上り線の路肩に止まった車内で、
レスリングで五輪3連覇を達成した吉田沙保里選手の父親栄勝さん(61)=津市一志町=がぐったりした様子で倒れているのを別の車の運転手が見つけ、110番した。
栄勝さんは病院に運ばれたが、死亡が確認された。死因はくも膜下出血。三重県警高速隊によると、車の前方に傷があり、追い越し車線脇の中央分離帯に接触後、300メートル先の走行車線左側のガードレールにぶつかり、路肩に停車したとみられる。
現場は津インターチェンジ(IC)から南に約500メートル。高速隊は、運転中に発症した栄勝さんが路肩に車を止めようとし、停車後に完全に意識を失ったとみて調べている。
吉田選手は東京都内での代表合宿への参加を取りやめ、午後1時すぎに津市の実家に到着。無言のまま家に入った。
栄勝さんの次男栄利さん(33)は報道陣に「妹は父の遺体の横に寄り添っている。ただ泣くだけの状況」と語った。
吉田選手は日本レスリング協会を通じて「しばらく、そっとしておいてください」とするメッセージを発表した。関係者などによると、栄勝さんは青森県八戸市出身で、レスリング日本女子代表のコーチ。
11日午前6時半ごろ、1人で車に乗り、選手と合流するため愛知県大府市の至学館大に向かった。
味の素ナショナルトレーニングセンター(東京都北区)で11日から始まる合宿に参加予定だった。自身も元レスリング選手で現役時代は1973年の全日本選手権フリースタイル57キロ級で優勝。
その後はレスリング教室を主宰し、吉田選手を幼い頃から指導した。
2008年に日本女子代表のコーチに就任し、12年のロンドン五輪では吉田選手のセコンドに付いた。家族によると、告別式は14日午後0時半から、津市藤方1617の1、津斎奉閣で営まれる。喪主は長男勝幸(かつゆき)氏。
引用元:スポニチニュース
突然のことで吉田さんもひどくショックを受けたようですね。
そのため、今回のリオ五輪は絶対に金メダルをとりたかったはずでしたが、残念でした。
なお、吉田さんは3人兄弟で、お兄さんの名前は勝幸さんと栄利さんです。
お兄さんも2人ともレスリング経験者で、次男の栄利さんは国際大会に出場したこともある実力者です。
なお、吉田さんの母親の名前は幸代(ゆきよ)さん。
元テニスの国体選手だったそうです。
まさにスポーツ一家ですね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、吉田沙保里さんの父親の死因はくも膜下出血。
職業は公務員をしていたが、レスリングのコーチもしていた。
母親の名前は幸代さん。
ということなどをお送りしました。
今回のオリンピックは銀メダルとなり残念でしたが、今後は指導する立場として
日本のレスリング界を盛り上げていってくれることでしょうね。