大黒摩季は病気だった?!母親の介護や実家のラスクとは?!旦那は佐賀で子供は?
歌手として絶大な人気を誇りながら活動を休止していた大黒摩季さん。
・病気の原因は?
・母親の介護をしてた?
・実家はラスクを売ってる?
・旦那は佐賀の人で子供はいる?
ということについてをまとめてみました。
プロフィール
名前:大黒 摩季(おおぐろ まき)
生年月日:1969年12月31日
年齢:46歳
所属事務所はビーイング
北海道札幌市南区出身
なお、本名の表記は大黒摩紀で、読み方は同じである。
学歴
札幌市立石山小学校
藤女子学園中学校
藤女子学園高校
3歳からクラシックピアノを始め、小学校の頃から作曲をしていたそうです。
経歴
1989年にビーイング主催のオーディション(第3回BADオーディション)に合格するも、コーラスをするよう言われる。
他にもソニーやビクターのオーディションに合格しており、ソニーからは「すぐにデビューしよう」という話があったが、
大黒はビーイングでの下積みの道を選ぶ。
本人が望んでいた歌手デビューがなかなか出来ないために会社を辞めてアメリカへ旅に出たが、
滞在先で社長から「歌手デビューの話が進んでいる」という旨の電話連絡を受け帰国、会社に復帰して活動を再開した。
2ndシングル「DA・KA・RA」がCMのタイアップがつき問い合わせが相次ぎ結果的にヒットチャートを上昇し
ミリオンヒットを記録し、第34回日本レコード大賞新人賞受賞。
他の主なシングル:
「あなただけ見つめてる」「熱くなれ」「いちばん近くにいてね」
私世代にはアニメ「スラムダンク」のエンディング曲のイメージが強いです。
あとはドラマ「味いちもんめ」とかもね。
病気だった?
大黒摩季さんに子宮疾患が見つかったのは1996年、彼女が27歳の時でした。
多忙を極めていた時期でもあり、闘病しながらの治療でしたが本格的な治療はしていませんでした。
大黒摩季さんの子宮疾患とは、子宮腺筋症のみでなく、
子宮内膜症、左卵巣嚢腫(子宮内膜症性のチョコレート嚢腫)、
そして子宮筋筋腫が併発しており、他の内臓を圧迫するほど肥大していたといいます。
これ以上、悪化した場合には子宮全摘以外に治療法がなくなる可能性があるということで
2010年10月から治療に専念する為、無期限の活動休止に入りました。
本格的な治療をはじめるに辺り、月経を止めるホルモン剤などの強い薬を服用しなくてはならない為、
スポンサードリンク 酷い副作用から歌手活動は続けることはできませんでした。
大黒さんはもともと生理痛が酷かったようで、よく貧血気味になりレコーディング中に倒れてしまうことがあったそうです。
現在の大黒さんは体調も良くなられ2014年から音楽活動を再開
15年11月に受けた手術で持病の子宮腺筋症の根治の見通しが立った。
病気の治療に専念するために歌手活動を休止していたようですね。
2016年8月13日に北海道でおこなわれた野外フェスに出演し
完全復帰を果たしました。
旦那や子供は?
病気の影響もあり、不妊治療もおこなっていたそうですが
子供はできなかったそうです。
なお、旦那さんは一般人のため名前や画像は公開されていません。
馴れ初めは共通の知人の紹介とのことで、2003年11月11日に結婚しました。
年齢は1歳年下で、職業はIT関係の企業に勤務されているとのこと。
なお、旦那さんはもともとはサッカー選手になることを目標にしていましたが
ケガが原因でサッカー選手になることはできなかったそうです。
そんなこんなはありましたが、旦那さんは大黒さんのファンでもあり
ライブを良い席で見るためにファンクラブに入っていることもあったそうで
佐賀で行われたバルーン世界選手権でのライブの応援にも駆けつけたと言われています。
実家は?
大黒さんのご実家は北海道札幌市でパン屋を経営されていたそうで、
ラスクが有名だったそうです。
そのため、幼少期は実家はお金持ちだったそうですが
父親が他界したために現在は廃業されています。
その後、母親も体調を崩し、
脳出血を患ってからは母親の介護のために
病院に連れ添うことも多かったそうです。
なお、兄弟は弟さんがいらっしゃるそうです。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、大黒摩季さんは子宮の病気のため歌手活動を休止していた。
実家は札幌でパン屋を経営していた。
母親が病気のため介護をしていた時期もある。
ということなどをお送りしました。
病気と闘いながらも復帰をされた大黒さんですが
子供が欲しいという願いがあり、病気と闘うことを決めたそうです。
力強いイメージでしたが、私たちの知らないところでは苦労があったのですね。