黒木渚は市役所に勤めていた?高校はどこ?カップ画像あり
ポスト椎名林檎との呼び声も高い黒木渚さん。
まだ知名度がそこまで高くはないですが
以前は市役所に勤務していたという噂も。
そして、高校はどこなんでしょうか。
また、カップ数も気になるところなので
画像とともに検証します。
本当に市役所に勤めてた?
まずは、プロフィールから探っていきましょう。
プロフィール
本名:黒木 渚(くろき なぎさ)
生年月日:1986年4月19日
年齢:29歳
元々は男女混合のロックバンドとして、
2010年から2013年まで福岡県を中心に活動していた。
現在はシンガーソングライターとして活動。
実家:宮崎県日向市
どうやら、バンド名も「黒木渚」で活動していたようですね。
学歴と高校はどこか
元市役所勤務ということは
優秀で真面目な性格であると想像できますが
学歴が気になるところ。
幼少期に日本舞踊をやっていた祖母の影響で、ステージに対して漠然とした憧れを抱く。
中高生時代は厳しい進学校に通い、読書や絵画に熱中する。
高校は、宮崎県内の中高一貫校に進学したらしく、
校則もかなり厳しく、しかも寮生活だったそうです。
中学からの6年間は軍隊のような生活だったらしいです。
具体的には、宮崎西高校だと言われています。
偏差値もかなり高く、65はあるそうです。
かなり根性がある女性という感じがしますね。
そして、
高校卒業後は福岡教育大学に進学。
軽音楽部でギターを学んで市内のライブハウスで弾き語りを始め、
2010年には自らの名前を掲げたバンド“黒木渚”を結成する。
大学で出会った教授の影響で文学にのめり込み、
福岡教育大学大学院に進んで近代英米文学におけるポストモダニズムを研究、
当時は大学教授になることを目指す。
福岡教育大学の偏差値は55あたりと
そこまで高くはないですが、
教育に興味があったために
福岡教育大学に進学することに決めたそうです。
そして、
卒業後はバンドを続けるために安定した職を求めて公務員となり、
福岡県内の市役所に勤める。
しかし、1年で退職して音楽活動に専念する。
どうやら、市役所勤務だった過去は
本当のようですね。
いくら、音楽が好きだと言っても
案定職を捨てるには
相当な覚悟があったでしょうね。
さらに言うと、女の子ですから
安定志向はより強いはずです。
もちろん、父親・母親の反対もあったはずです。
実家は金持ちという噂もありますので
覚悟が違いますね。
そして、退職後すぐにバンドを結成して
福岡県で活動していたそうです。
経歴
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2012年12月12日、処女作となる1st single 『あたしの心臓あげる』を九州限定でリリース。
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九州限定にもかかわらず、全国のインディーズチャートで14位、有線インディーズチャートで1位を獲得し、
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2013年1月8日から全国発売されることなった。
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その後も10週連続でオリコンインディーズチャートTOP20 にランクインし続けた。
- 2013年にバンドを解散。
- 2014年にワンマンツアーとソロアルバムを発売。
- 2015年6月11日、LINE@アカウントができる。
- 8月14日、ヤクルトvs阪神戦の試合直前のグラウンドでスペシャルライブ。
- 9月28日、Instagram開始。
- 11月22日~2016年1月11日にかけて、全国6ヶ所にてワンマンツアー2015「自由律」開催。福岡、大阪、名古屋、仙台、札幌、東京を回る。
- 引用元:黒木渚
もともと実力が高かったのでしょう。
すぐに全国に名が広まったそうです。
逆に、公務員を退職して正解だったのかもしれませんね。
カップについて
黒木さんは身長が170cmもあり、
かなり美脚の持ち主です。
身長170cmとか、男性と変わりないですね。
モデルとしても活躍できますよね。
そして、推定カップ数はDという噂です。
これは、男性人気が出そうですねw
今後が楽しみです。
まとめ
いかかでしたか?
今回は、歌手の黒木渚さんの出身高校は宮崎県立宮崎西高校。
福岡県内の市役所に1年間勤めていた。
ということなどをお送りしました。
スタイルも良いので今後は歌手活動以外でも
メディアに出てくるかもしれませんね。
非常に楽しみな存在ですので
期待しておきましょう。