桃井かおりの夫や子供は?父も凄い人?兄は科学者で店もしてる?ブログは?
独特の雰囲気を醸し出す桃井かおりさん。
・最近結婚した夫はどんな人?
・子供はいる?
・父親は?
・兄は科学者?
・お店とブログをしてる?
ということについてをまとめてみました。
プロフィール
本名:桃井 かおり(ももい かおり)
生年月日:1951年4月8日
年齢:65歳
東京都世田谷区、本籍地は長野県佐久市。
ちなみに、身長は162㎝。
学歴
最終学歴は、女子美術大学付属中学・高校を卒業。
3歳からクラシックバレエを始め、中学生の時にイギリスのロイヤルバレエアカデミーに単身留学。
帰国後、女子美術大学付属高等学校・中学校へ入学。同校在学中は東京バレエ団に所属。
同校卒業と同時にバレエを辞め、両親に内緒で演劇を目指し文学座付属演劇研究所(養成所)第11期生に研究生として入る。
経歴
1971年に映画『愛ふたたび』(市川崑監督)にて浅丘ルリ子の妹役でデビュー。
同年、ATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(田原総一朗監督)にてヒロインを演じ、本格的に映画デビュー。
1972年に文学座を離れ、『赤い鳥逃げた?』(1973年)で女優復帰するも、22歳の時に撮影現場で腹部に違和感を覚え、歩くのも困難になり、帰り道の山道で倒れる。
幸い通りかかったトラックの運転手に発見され一命はとりとめたが、その後の検査で腎臓結核であることが分かり、片方の腎臓を摘出。1975年、倉本聰脚本による日本テレビ系列『前略おふくろ様』の海役が当たり役となりお茶の間でブレイク。
1977年公開の『幸福の黄色いハンカチ』では、それまで過激な役が多かった桃井の新たな一面を引き出した作品として高評価され、
第1回日本アカデミー賞助演女優賞、ブルーリボン賞などを受賞した。
1979年公開の『もう頬づえはつかない』で映画初主演。1981年、突然、単身ニューヨークへ渡る。帰国後はメディアから距離を置いて生活していた。
1991年にはオムニバス映画『ご挨拶』の第3話「NOW IT’S THE BEST MOMEN0T IN OUR LIFE!!」で映画監督デビュー。2006年に『無花果の顔』で長編映画監督デビュー。
日本政府より紫綬褒章の受章を伝達され、2008年4月28日、各社報道によって公表された。
近年は女優業に留まらず、ジュエリーデザイン、雑誌創刊など、活動の幅を広げている。
2009年に女子美術大学・女子美術大学短期大学部客員教授に就任。
ちなみに、タバコが大好きで一日に100本近く吸うときもあるそうです。
夫は?
2015年1月にかねてから交際していて事実婚状態だった音楽プロデューサーと結婚した桃井さん。
お相手の旦那さんのプロフィールなどの詳細は不明ですが、
年齢は桃井さんより2歳年上とのこと。
なお、2人のあいだに子供はいないそうです。
かつては作家の伊集院静さんとの不倫など「恋多き女性」というイメージの桃井さん。
現在の旦那さんとの馴れ初めは不明ですが、
旦那さんの性格などを尊敬しているようで、「一生この人でいい」と思えたことが結婚を決めたきっかけなんだそうです。
なお、以前、桃井さんは結婚式の1週間前に結婚することが嫌になり、結婚を止めた過去があるとのこと。
破天荒な女性ですねw
父は?
実家は世田谷区で生まれた桃井さんですが、
父親は国際政治学者の桃井真さん。
厳格な性格で教育熱心だったこともあり、桃井さんが芸能活動をすることには猛反対だったのだとか。
なお、2004年に亡くなられているとのことです。
また、母親の名前は悦子さん。
職業はアトリエを構える芸術家で、桃井さんが映画デビューをしたことを知って倒れたこともあったそうです。
兄は?
桃井さんの兄弟は、兄が2人で弟が1人の4人兄弟とのことで
長男は、脚本家をしている桃井章さん。
また、脚本家である傍ら、飲食店も経営しているそうです。
具体的には、会員制のバーらしく、
以前のお店「COREDO」は閉店してしまったそうです。
また、兄の章さんに結婚を報告していなかったことをブログで明かしていた桃井さんですが
お兄さんとしては少し悲しいですねw
そして、次男は科学者をされていて、
三男は銀行員をされているそうです。
名前や年齢は不明ですが、芸術・科学に才能を持った家族が多いことが分かりますね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、桃井かおりさんの夫は音楽プロデューサーの一般男性。
父親は国際政治学者の桃井真さん。
兄は脚本家とバーを経営している章さんと科学者の次男がいる。
弟は銀行員。
ということなどをお送りしました。
自由に生きている印象の桃井さんですが、そんな風に見せている人ほど苦労が多かったのではないでしょうか。
今後も素晴らしい演技などで活躍していってほしいですね。