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吉永小百合の夫、岡田太郎の現在はどう?自宅の住所や家系図は?

      2021/07/19

女優として活躍している吉永小百合(よしなが・さゆり)さん。

芸能界デビュー当時、国民的美少女として人気を博した吉永小百合さんは、1973年に結婚。『サユリスト』と呼ばれる多くのファンが悲鳴を上げました。

そんな吉永小百合さんの夫はどのような人物なのか、恋愛エピソードや、子供はいるのかなどをご紹介します!

 

 

 

プロフィール

 

 

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本名:岡田小百合

生年月日:1945年3月13日

身長:155cm

出身地:東京都渋谷区代々木西原

最終学歴:早稲田大学第二文学部西洋史学専修(現在の文学部西洋史コース)

 

 

吉永小百合さんのご主人は元テレビ局関係者

 

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吉永小百合さんの夫は、15歳年上で当時フジテレビのディレクターとして活躍していた岡田太郎(おかだ・たろう)さんです。

1973年の28歳の時に結婚されています。
岡田太郎さんは、実は結婚歴がありました。

 

1973年頃は年の差結婚は珍しく、また吉永小百合さんの結婚相手が芸能人ではなく一般人であり、バツイチであった事で、世間はかなり大騒ぎだったようです。

しかし、女優を美しく撮影することに定評があった岡田太郎さんは、『アップの太郎』として親しまれ、女優たちからの信頼も厚かったそう。

ディレクターとして活躍した後、共同テレビジョンの社長、会長、取締役相談役を歴任し、現在は引退しています。

引退後は料理を率先して行うようになったそうで、ワインに合う料理を作るのが上手だという夫のことを、吉永小百合さんは嬉しそうに語ったこともありました。

 

 

吉永小百合さんが結婚を決意したきっかけとは…

2018年3月6日に放送されたバラエティ番組『マツコの知らない世界』(TBS系)に出演した吉永小百合さん。同番組で、夫との結婚を決意したきっかけを明かしました。

10代前半から売れっ子女優として多忙を極めた吉永小百合さんは、過労によるストレスで声が出なくなった時期があったとのこと。

不調に悩みながら出演した映画『男はつらいよ 柴又慕情』で、共演した俳優・渥美清(あつみ・きよし)さんに、「役者なんて定めのないものなんだから…」と、肩の力を抜くように言葉をかけられたそうです。

渥美清さんのアドバイスで、女優としての自分を振り返った吉永小百合さんは、「一度、人間らしい生活をしよう」と決意。

同じ頃、声が出なくなった吉永小百合さんみた岡本太郎さんは、そばに寄り添いながら献身的にサポートしてくれたそうです。

そんな姿に惹かれて結婚したのだとか。

 

 

15歳も年の離れた夫に、吉永小百合さんを心配する声も多かったようですが、吉永小百合さんの意思は固く、周囲の反対を押し切っての結婚でした。

結婚後は1年以上女優業を休業し、新婚生活を楽しんだ吉永小百合さん。

最近は歳の差結婚も多くなっているのでそれほど違和感はありませんが、当時は大変なこともあったのではないでしょうか。

 

 

 

吉永小百合さんの恋愛がすごかった…

 

吉永小百合さんは夫と結婚する前に、ある大物俳優との結婚を諦めています。

お相手は、テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)などで国民的人気を誇った渡哲也(わたり・てつや)さんです。
2人は1966年に公開された映画『愛と死の記録』で共演。

 

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主演のピンチヒッターに抜擢された渡哲也さんと、偶然出会った吉永小百合さんは意気投合したそう。

吉永小百合さんは、渡哲也さんと結婚することを両親に伝えましたが、猛反対されたために破局。

当時、世間の人気を集めていたお二人でしたので中々難しい事もあったのでしょう。

その後、声が出なくなった時期とも重なることから、過労だけではなく失恋のストレスや両親との不和なども関係しているのでは…との噂も。

 

2人はその後、それぞれの相手と結婚。しかし、週刊誌『週刊ポスト』によれば、1998年に公開された映画『詩雨の記』で、吉永小百合さんが相手役に渡哲也さんを指名するなど、深い絆があったようです。

 

 

岡田太郎さんの現在は?

吉永小百合さんの夫・岡田太郎さんが死亡!?なんていう噂がネットで飛び交っているようです。

 

岡田太郎さんは2014年の時(当時84歳)に「肝臓の重い病気」を患っていた事が判明しています。
詳しい病名は公表されていません。

 

一時は危篤状態に陥ったそうですが、現在は一命を取り止め退院できるほどに回復されたそうです。


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退院後に吉永小百合さんは自宅をバイアフリーに改装されたそうですから、高齢ということもあって、もしかすると車椅子での生活をされている可能性もありますね。

 

 

吉永小百合さんの家系図、父親と母親

 

 

父親は吉永芳之さん、母親は和枝さんと仰るそうです。

芳之さんは、東京大学の法学部を卒業後、外務省に入省。いわば典型的なエリート官僚でした。

母の和枝さんもまたエリートの「川田家」に生まれた女性で、ピアノ教師をしていたそうです。

川田家は大阪から東京へ進出し、事業を起こして財を成した一族です。

関東大震災後、千駄ヶ谷の近くへ立派な洋館を新築。

家族の他、書生と女中、運転手など20人以上が住んでいました。

裕福な家庭だったものの和枝さんは、態度の大きい兄や、おてんばすぎる妹を嫌っていたそうです。

そのため結婚後、川田家とは絶縁状態だったといいます。

結婚後も官僚の妻だったため、何不自由なく暮らせると考えていたのでしょう。

しかし夫の芳之さんは、外務省を辞めて転職。さらに転職先も辞めて、出版社を立ち上げます。

しかし事業はうまくいかず、家財道具を差し押さえられたこともあるそうです。

そんな中、吉永さんは11歳の時、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』で芸能界デビューします。

ただ自身が芸能界に憧れていたわけではなく、家計を助けるためやむなく働いていたそうです。

結果的には大スターになったため、両親は心から娘に感謝したことでしょう。

ちなみに和枝さんが嫌っていたおてんばな妹は、川田泰代さんという名前で、「婦人画報」の編集長だったようです。

吉永さんの家系は、文学や芸能といった文化的素養のある人が多いといえるでしょう。

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姉妹も優秀だった

 

吉永さんは3人姉妹の次女でした。

姉は5歳年上とされており、東京教育大学を卒業後し、東京都庁に勤めました。

東京教育大学は、現在の名門筑波大学のため、頭脳明晰な女性であることがわかります。

妹については詳しい情報がありませんが、やはり有名大学を出ているようです。

仕事は教育関係だったとされており、姉妹そろって秀才だったことは間違いないでしょう。

 

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吉永さんは子役時代から芸能活動していたため、多忙により精華学園女子高校を中退されています。

その後挑戦した大学入学資格検定も、全科目はクリアできませんでした。

しかし1965年、高卒以上の学力を持つことが認められ、早稲田大学に合格。

早稲田大学では、芸能活動と学業を両立させ、次席で卒業しました。

学業で優秀な成績を残しながら、女優として第一線を走り続けました。

インテリ一家に育っただけでなく、「家計を支えたい」という決意あってこそ、長きにわたって活躍できたのでしょう。

 

 

吉永小百合さんにはお子さんが居ない!?

吉永小百合さんは、自分に子供がいないことを2014年のインタビューで明言しています。

ご本人のこれまでの発言を総合すると、子供がほしいのにできなかったのではなく、親にならない選択をしたのではないかと思われます。

その選択をした大きな理由として考えられるのが両親との関係です。

以前、「まともな教育を両親から受けていない」「自分に責任がもてない」と語ったことがありました。

小学生から芸能活動をしていた吉永さんですから、両親は女優としての娘の教育に熱心で、一般的な教育はしてもらえなかったということでしょう。

こうした体験から、親子のあり方に疑問が生まれ、親として自信ももてず、子供と良好な関係を築くことができないのではないかと心配したのではないでしょうか。

 

 

まとめ

吉永小百合さんが28歳の時に、バツイチであった15歳年上の岡田太郎さんとご結婚されています。
大女優として多忙を極める中、精神的に参ってしまい声が出なくなる症状を発症。その時、そばにいて支えてくれたのが岡田太郎さんでした。
現在91歳になる岡田太郎さんは、84歳の時に肝臓の重い病気を患いましたが、懸命の治療のかいがあり現在はご自宅で過ごされているようです。

お二人にはお子さんはいらっしゃいませんが、吉永小百合さんが子供を持たない選択をされたようです。

そんな吉永小百合さんのご両親は、東大卒・名家川田家のご令嬢とエリート育ち。ご姉妹も都庁勤務や、有名大学卒と素晴らしい経歴をお持ちです。

青春映画のヒロインとして「サユリスト」なる社会現象を巻き起こし、文化人の信奉者も多い吉永小百合(よしながさゆり)さん。

76歳と91歳とご高齢になられた現在も、仲睦まじく暮らされているとの事。いつまでもおしどり夫婦として共に生活していってほしいですね。


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