生瀬勝久の息子の中学と高校はどこ?若い頃はイケメン!?
映画やドラマだけではなくテレビ番組のMCを務めるなどと、マルチに活躍している生瀬勝久(なませ・かつひさ)さん。
高い演技力で数々のドラマや映画に多数出演している俳優として知られています。
バラエティ番組では確かなトーク力で場を盛り上げています。
そんな生瀬さんのプライベートでは結婚してお子さんもいるそうです。
今回は美人だと噂の結婚相手との馴れ初めや子供の名前や年齢、通っている学校について詳しく見ていきたいと思います。
プロフィール
名前:生瀬勝久
生年月日:1960年10月13日
出身地:兵庫県
血液型:O型
身長:178cm
趣味:釣り
特技:ゴルフ
所属事務所:リコモーション所属
生瀬勝久さんの母親は小学校教師で市議会議員をされていたそう。ちなみに、父親は釣り好きらしいです。
また、兄弟は兄が1人いらっしゃいます。
高校は、宝塚高校出身で当時は宝塚ファミリーランドでバイトをしていたそうです。
高校卒業後は、一浪し1980年に同志社大学社会学科に入学されました。
その後、同志社大学では2回の留年も経験しているそうです。
在学中の1983年に劇団「そとばこまち」に入団し、同年公演の舞台『猿飛佐助』で初舞台を踏みます。
また、同志社大学卒業後の1988年に同劇団の4代目座長に就任すると、役者だけではなく劇作家・演出家としても活躍します。
さらには、劇団の活動と並行して各メディアにも出演し、関西のテレビ・ラジオで数多くのレギュラー番組を抱えていました。
特に1988年放送のコント番組『週間TV広辞苑』(読売テレビ)をはじめとする深夜帯のバラエティ番組は、大学生を中心に絶大な人気があったようです。
結婚はいつ?
生瀬勝久さんは1997年にモデルの堀本陽子さんと結婚しています。
堀本陽子さんと生瀬勝久さんの年の差はなんと12歳!
当時は美人モデルとの電撃婚、そして12歳年下ということで話題にもなりました。
生瀬勝久さんが実年齢よりも若々しいのは、かわいらしい奥様のおかげかもしれませんね。
そんな堀本陽子さんは元セブンティーンの専属モデルとして活躍していらっしゃいました。その他『CanCam』や『CLASSY.』等でも活躍されていましたね!
2021年現在もモデル活動を続けていて、『VERY』や『美ST』でその活躍ぶりを拝見することができます。
そして、ヨガセラピストとしても積極的に活動中の堀本陽子さん。
近所の人やママ友を中心とした生徒を集めて、ヨガ教室『yo-co.yoga』を運営中です。
新型コロナウイルス感染症の影響で現在は新規の生徒を断っているそうですが、100人規模の生徒がいるのだとか。
また、ヨガウェアのブランドを立ち上げるなど、精力的に活動されています。さすが、モデルさんですね。
生瀬勝久の嫁との馴れ初めは?
年の差婚の生瀬勝久さんですが、お二人の馴れ初めは堀本陽子さんからのアプローチだったそうです。
歳の差があるので、男性の生瀬勝久さんが堀本陽子さんに猛アタックしたと思いがちですよね(笑)
本当の所は、堀本陽子さんが生瀬勝久さん主演の舞台を鑑賞したことで大ファンになり、ファンレターを生瀬勝久さんの事務所に送ったことがキッカケだそうです。
ただ、堀本陽子さんは当時16歳だったのでファンレターの中にたびたび携帯番号を入れて送ったのですが、生瀬勝久さんにはファンの一人として認識するだけで
個人的に連絡を取ることは無かったようです。
その後も、堀本陽子さんは写真付きのファンレターを何通も送ったりします。
長年の努力もあり、生瀬勝久さんの感情も次第に会いたい気持ちになり、具体的にアクションを起こしたのは堀本陽子さんが20歳になった時でした。
そして、生瀬勝久さんが行動しお付き合いが始まります。
交際当時、大学生だった堀本陽子さんが社会人2年目になったら結婚しようと約束していました。
しかし生瀬勝久さんはもう少し売れて年収が安定したら結婚しようとかと考え、アクションを取れずにいました。そんな生瀬勝久さんに対し、堀本陽子さんは仕事帰りに一人で強引にハワイの挙式を予約してきたようです。
なかなかの行動派ですね 汗
そして交際から5年後の1997年に芸能人の友人を沢山招いて無事ハワイでの挙式を迎えることができました。
結婚したいけど経済的に苦労をかけたくないという思いが強い男性と、結婚したい女性の意識。結果、堀本陽子さんの行動力で愛を実らせる事が出来たんですね!素敵な関係だと思います。
今でも宝物は奥さんと言える生瀬勝久さんなので浮気や不倫の話は一切なく夫婦円満で関係は良好のようです。
生瀬勝久さんには子供は何人いる?
生瀬勝久さんと堀本陽子さんの間には息子さんが一人います。
名前や年齢については非公開となっていましたが、昨年奥様のSNSで子供の中学入学の様子がアップされていました。
現在中学2年生になるようです。
堀本陽子さんのエッセイでは、
うちはお父さんが役者、お母さんがモデル、
というちょっとレアな環境かも知れませんが、息子には出来るだけその影響が及ばないように育ててきたつもりです。
幼稚園は近さと園庭が広い事で選び、小学校は地元の区立小学校へ通わせました。
とあるように、私立の学校を受験はせずご近所さんと一緒の公立小学校へ通われたそうです。
実は、堀本陽子さんは受験を考えていたそうで、生瀬勝久さんに相談すると
「え?俺?その面接の日に仕事休めるかわからんで。」
とあっさり言われました。
「えー、夏のバーベキューのためには早々とNG申請してくれんのに、なんで休み取ってくれへんの?」
「いやー、バーベキューは俺がおらなあかんけど、受験は母親だけでもええやろ?両親揃ってなあかんとかおかしいやろ。」
と断られたそうです。なかなか面白い感じです(笑)
それに、男性は地元の友達を大切にする傾向もあるので小学校から他地区へかよわせるより
地元で、ご近所のお友達とのつながりを深めて欲しいと言う思いもあったようです。
中学からは、やはり芸能人の息子さんと言う事もあり中学受験をされたそうです。
学校名の公表はありませんが、成城学園の学校説明会に夫婦で参加している姿が目撃されいると噂もあります。
成城学園といえば芸能人の子供が毎年のように受験する学校として有名ですので可能性は高いのかもしれません。
若い頃がイケメン!?
生瀬勝久さんは大学在学中に劇団に加入。卒業後に本格的に役者の世界に飛び込みます。
1988年に劇団『そとばこまち』の4代目座長に就任。そこでは役者としてはもちろん、演出家などでも活躍します。
1994年には舞台『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』に出演。その頃はメガネをしていなく爽やかな感じでした。
以前、NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」のメンバーとのインタビューの中で
「(生瀬は)ガツガツした感じではなかったけれど、実際モテていました。次から次へと…」と言いかけ、生瀬が「いらんこと言うな」と口止めしようとするも、「面白くて、すごい人がいるといううわさの人だった」と暴露。当時を知るはずもない水川も「モテていたって言ってましたよね」と口添えし、生瀬自ら自慢していることを匂わせていた。
などと話に挙がっていたので、モテていたことは事実でしょう(笑)
若い頃は、さわやかな感じ。現在は歳をを重ねダンディさを増す生瀬勝久さんの様に感じます。
演技の幅も広く素敵ですね!
まとめ
生瀬勝久さんには、中学生のお子さんが一人いらっしゃいます。
ご本人は息子さんの事を多く語りませんが、奥様の堀本陽子さんはエッセイなどで息子さんの中学受験のお話などされています。
その堀本陽子さんとは12歳差の年の差婚。奥様の方からのアピールだったそうです。
学生時代より演劇の活動をされている生瀬勝久さんは、以前は「槍魔栗三助(やりまくり・さんすけ)」を名乗っていました。
NHKのドラマの出演が決まった際、芸名がチョット問題あるとの事で本名へ改名したそうです。
幅広い演技をされる生瀬勝久さん。今後も舞台やドラマ、バラエティー番組等でのご活躍を楽しみにしています。