中村玉緒の息子が真剣で事故を起こしていた?!今は働かないで孤独死?
中村玉緒さんと言えば、少し前は明石家さんまさんとのやり取りがお茶の間を沸かせるほど「超天然」の女優さんと言った印象です。
そんな中村玉緒さんの息子さんについて調べました。
プロフィール
鴈龍太郎(ガン リュウタロウ)
俳優。1964年8月9日生まれ、京都府出身。O型。
1989年、映画『座頭市』で映画デビュー。
父親は俳優の勝新太郎、母は女優の中村玉緒。
19年11月,急性心不全のため死去。
デビュー作で事故
鴈龍太郎さんが初デビューを飾るはずだった映画「座頭市(1989年)」の撮影は、一人の俳優の命が失われるという痛ましい事件になったことは有名です。
悲劇が起こったのは広島県福山市みろくの里撮影所という場所で、1988年12月6日に撮影された立ち回りの場面でした。
本来なら時代劇の大半で使用する模擬刀等を使用するのですが彼は故勝慎太郎さんの名優さながらにリアルを追求する為との言い分で真剣を使う事に拘ったそうです。
妙な新人俳優の拘りとプライドの為、真剣で撮影した結果斬られ役の俳優の首を斬りつけて死亡させてしまうと言う事件さながらの事故がおきてしまいます。
事件の通報を受けた警察は業務上過失致死傷の疑いで捜査に乗り出しました。
その結果この真剣は演技に迫力を出そうと考えたスタッフが勝手に準備していたともいわれており、つまり警察の事情聴取によると彼は真剣であることを知らずに使用したという事に。
過失とはいえ人を死亡させてしまったことには変わりありませんが、なんとも俳優として不運な幕開けとなりました。
実際刑罰にはならなかったものの長い間、謹慎生活を余儀なくされたそうです。
因みに当時、座頭市の監督を務めていたのは父親の勝新太郎さんでした。
目の前で息子の演技で人が亡くなる場面を見たのですからかなり動揺したのではないでしょうか。
とは言え鴈龍太郎さんは前述した真剣事件の他にデビュー前にも大麻を密売したとして2度逮捕された過去がありました。
真剣事件のほうは様々な疑惑が残るとは言え概ね過失だったことは理解できます。
ただ大麻密売のほうは何故このようなことをしたのか疑問が残ります。
仕事が長続きしない
そしてもう一つ彼が批判される理由を挙げると仕事が長続きしないと専らの噂でした。
元々プライドの高かった鴈龍太郎さんは人に指示されるのが嫌いな部分もあり、なかなか仕事が長続きしませんでした。
勝新太郎さんは生前、息子の為に様々な仕事を紹介し、実際父親の伝で映画に出演してきました。
しかし勝新太郎さんが亡くなる時息子の行く末を心配していたそうなので、あまり仕事に打ち込めていない生活をされていたのでしょう。
父親が亡くなってからは母親の中村玉緒さんがその意志を継ぎ「父の名に恥じない名優になりたい」と思う息子を必死にサポートしてきたそうです。
孤独死をしていた
俳優、勝新太郎さん(享年65)と女優、中村玉緒(80)の長男で俳優、鴈龍太郎さんが急性心不全のため11月1日に名古屋市内で死去していたことが3日、分かった。55歳だった。
玉緒の所属事務所などによると、鴈龍さんは同市で働いており、連絡の取れない知人が不審に思って訪ねたところ、亡くなっていたという。一人暮らしだったこともあり、発見されるまで数日間がたっていた。
葬儀は玉緒の仕事のスケジュールを調整し、近親者だけで葬儀を行い、納骨も済ませたそう。
実は珠緒さん、鴈龍太郎さんが亡くなられる数年前から音信不通状態だったそうです。
そうは言っても、険悪な状態と言うわけでもなかったようですが・・・
何をやっても長続きしない鴈龍太郎さんに、玉緒さんは『きちんと仕事をしてほしい』と、言い続けてきたそうです。
勝新太郎さんが亡くなられた後は、ご自身の番組で共演したり、関係者の方々に頭を下げお仕事を頂いたりとサポートしてきたそうです。
しかし、17年に2年ぶりに舞台に出演しましたが、その後は働くそぶりを見せ無かったそうです。
玉緒さんは『私が面倒をみているかぎり、あの子が立ち直ることはない』と考え、長女とも相談したうえで鴈を絶縁し、経済的援助を打ち切ったそうです
そんな状態の中、孤独死と言う悲しい末路を辿ったと思うと心苦しいですね。
まとめ
勝さんの息子であるという期待もあったが、多くは父親の依怙贔屓で抜擢されたという冷ややかな目だったと思います。
その中で監督である父親から認められようとする事に必死。勝さんの演出の妙もあったでしょう、緊張感のあるいい芝居だったそうです。しかし、撮影中の事故があり、正当に評価されなかったのが残念。
こうした世間の思い込みを引きはがすほど、雄大さんは強くなかったのでしょう。
勝さんは、本当に優しく、気遣いの人だったそう。鴈龍太郎さんは勝さんのそうした部分を色濃く受け継いでいた。ただし、勝さんのような荒っぽさ、気の強さはなかったようですね。
それにも関わらず、勝新の強い息子を演じようとしていた。雄大さんは勝さんのことが大好きで、尊敬していたはずです。
偉大な父親に近づきたいとずっと藻掻いていた。加えて事故のイメージが彼を圧迫した。きっととても苦しかったでしょう。苦しみながらも必死で生きた鴈龍太郎さん。最後は寂しくもお一人でこの世を去ることになってしまったようです。合掌