石野真子の実家はビーズ工場で金持ちってマジ?!元夫との離婚の原因は?
2016/08/27
石野真子さんといえばお母さん役が多いイメージですが
今回は
・実家がビーズ工場で金持ちなの?
・元夫との離婚の原因は?
ということを画像とともに検証します。
プロフィール
本名:石野 真子(いしの まこ)
生年月日:1961年1月31日
年齢:55歳
実家:兵庫県芦屋市
血液型:A
所属事務所:フロム・ファーストプロダクション
芦屋出身ということは、金持ちそうですね。
実家や家族構成について
石野家の長女として生まれた石野さん。
両親と妹2人の5人家族。
父親はビーズ製のハンドバッグ製造会社の経営をしていた。
父親は非常に躾が厳しく、中学・高校時代の門限は16時30分で、
1分でも遅刻すると「どこへ行ってたんや」と父親が玄関で待ち構えていた。
帰宅後は、実家で製品確認等の家業手伝いをしていた
石野が幼い頃の実家では大型犬のセント・バーナード (名前は「バズ」) を飼っていて可愛がっていた。
実妹に女優のいしのようこ (旧表記・石野陽子)と宝乃純。
ちなみに、母親はファッションデザイナーの石野弘子さんです。
そして、現在の実家の工場は火事で焼失してしまったそうです。
いしのようこさんがこちらですね。
学歴
1973年4月、尼崎市のカトリック系女子校の私立百合学院中学校に進学。
中学3年後期、平尾昌晃歌謡学院大阪校レッスン生となり通う
百合学院高等学校に進学(同高校には2年生の2学期までの在籍。歌手デビューのため上京した2年生3学期からは都内の堀越高等学校へ転校)
堀越高等学校を卒業。(デビュー直後から多忙になってしまい、単位不足で1年留年した後の卒業であった)
『スター誕生!』の合格を経て、石野の所属事務所はバーニングプロダクションに決まる
ちなみに、
百合学院高校の偏差値は55あたりとのことです。
経歴
1977年3月25日、デビュー・シングル「狼なんか怖くない」。当時のキャッチフレーズは「100万ドルの微笑」。
1979年12月31日、NHK紅白歌合戦に『ジュリーがライバル』で初出場。
元旦那について
1981年6月、歌手の長渕剛と婚約・結婚を前提に交際宣言を発表。その際石野は同年8月末をもって、歌手活動を含めた芸能界からの引退を表明
長渕剛との結婚の馴れ初めは、シングル「順子/涙のセレナーデ」が大ヒット中だった1980年、
ニッポン放送『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていた長渕の希望を受けて、
番組の構成作家だった秋元康が石野のゲスト出演をセッティングしたことがきっかけ。
スポンサードリンク 番組内で二人が意気投合したことから後に交際に発展。
結婚後の二人は、様々な見解の相違を表面化させていく。
長渕剛からの度重なるDV(家庭内暴力)や長渕の母との確執などが原因で、
週刊誌でも大きく取り沙汰されるようになり、結局二人の結婚生活は僅か2年持たずにピリオドが打たれた。
1983年3月、既に長渕と別居していた石野は、同年5月に長渕との離婚を決意、
1983年5月、離婚と同時に芸能界へ復帰。
ちなみに、
2人は離婚後にVTR越しに共演をしている。
そして、子供はいないそうです。
その後は
1990年、舞台共演がきっかけで親しくなった広岡瞬と再婚するが、
1996年に離婚。
2回目の離婚の理由は
石野さんのほうから別れを切り出したそうなんですが
詳しい理由は不明でした。
そして、広岡さんとの再婚の時も
子供はいなかったそうです。
不倫について
2000年頃、元極真空手全日本チャンピオンでその後は不動産会社や警備会社を経営し、
岸和田市議、新進党大阪府第18総支部会長、新進党大阪府連常任幹事を務めていた
大西靖人と石野は愛人関係になった。
不倫関係は
約3年間ほど続いていて、
大西さんの奥さんも公認だったようで
大西さんの子供の学費を石野さんが支払っていたことや
大西さんが亡くなられたときは
奥さんと一緒に看取ったとも言われています。
奇妙な関係ですが、何か特別なものを感じたのでしょうね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、石野真子さんの実家はビーズ製のハンドバッグ製造工場だったが
今は火事で焼失している。
元旦那の長渕剛さんとの離婚の原因はDV。
広岡瞬さんと再婚したが、離婚した。
子供はいない。
ということなどをお送りしました。
天然っぽいイメージの石野さんですが、
芸能界にも石野さんのファンは多いそうですので
天性のかわいらしさがあるのでしょうね。